フランス/パリのシャトーで優雅な滞在

ツアーイメージ
ツアー基本情報 歴史あるシャトーホテルのジャグジー付きのエグゼクティブジュニアルームに宿泊します。
  • 期間:3泊4日
  • 場所:フランス/パリ

パリのシャトーで優雅な滞在
パリのシャトーで優雅な滞在

ジャンヌ・ド・ロスチャイルドのシャトー ...お誘い

このシャトー(古城)、モンヴィラルジェンヌの生い立ち物語をお読みいただければ、ホテルについてよりご理解いただけることでしょう。本物のシャトーはいずれも、その一族の物語を城壁に秘めています。これは真実の物語です。

5つの矢

16世紀のフランクフルトのユダヤ人居住区で、アイザック・エルシャマンは赤い日除けが目印の小さな家の住人でした。この赤い日除けはドイツ語で「Rot Schild」。アイザックの子孫がこの苗字を継承し、類まれにみるファミリーの名前「Rothschild」の由来となるのです。

その後数年はフランクフルトにとどまり、大きな変化はありませんでしたが、ロスチャイルド一族のひとりメイヤー・アムシェル(1743〜1812)の時代になり変化が訪れます。このメイヤーはコインを専門とする骨董品の仲買人で、グルテュ・シュナッパーという女性と結婚し、女の子5人と男の子5人の計10人の子宝に恵まれます。メイヤーはこの5人の息子たちに自分の仕事を分け与え、彼の矢筒を満たすように、息子たちを5つの矢に例えました。この5つの矢はメイヤー・アムシェルの跡継ぎを意味し、ロスチャイルド家の紋章となります。1822年にオーストリアでロスチャイルド家が正式に男爵の貴族称号として認められ、それ以降貴族の象徴である「de」を加えた「de Rothschild」と名乗ることができるようになります。

ナザン, ナザニエル そして ジェームス=エドワード

メイヤーの長男であるナザンは、ナザニエルという男の子を含む何人かの子供に恵まれます。ナザニエルはいとこのシャルロットと結婚します。シャルロットはフランスロスチャイルド家の創始者ジェームスの娘です。結婚の後、ジェームスは娘がロンドンに戻ることを許さなかったことから、彼らはパリにとどまるようになります。シャルロットは4人の子供に恵まれ、そのうちのひとりナザン=ジェームス=エドワードこそが、このシャトー・ド・モンヴィラルジェンヌの未来の所有者であるジャンヌの父親なのです。

ジャンヌの父親

1871年、ジェームス=エドワード・ド・ロスチャイルドは、フランクフルトに住むいとこのローラ・テレーズと結婚します。彼女の人情あふれる人柄は、いまだに古城の住所であるグーヴューとシャンティイの街に言い伝えられています。彼らはヘンリとジャンヌという2人の子供をもうけました。子供たちが大きくなると、ジェームス=エドワードとテレーズは田舎の屋敷を探し始め、夫妻はたくさんの好条件を理由にこのグーヴュー・シャンティイ地域を最終的に選びます。1878年若いロスチャイルド夫妻は、このモンヴィラルジェンヌに程近い素敵な土地を購入します。ここは今ではシャトー・デ・フォンテーヌとなっています。ジャンヌの父親はこの新しい城の建設が終わる前、37歳の若さで亡くなったため、この城に住むことはありませんでした。

ジャンヌの母親

若き未亡人テレーズ・ド・ロスチャイルドは、ヘンリとジャンヌの厳しい教育に没頭します。1886年から彼女の関心はグーヴューの街に向けられるようになり、病院、保育施設、薬局、図書館の建設などの優れた社会事業を行いました。1931年テレーズが他界すると、グーヴューの街は彼女の功績を讃えメイン通りに彼女の名前を残すことを決定します。

ジャンヌ・デュ・ロスチャイルド

ジャンヌ=シャルロット=ルイス・ド・ロスチャイルドは1874年5月17日に生まれました。後に彼女のお兄さんであるヘンリが幼少時代と思春期を「監禁状態」と描写するほど、彼女は厳しくしつけられて育ちます。この悲しく寂しい幼少時代は、この後ずっと、孤独状態に置かれているような、感傷的であきらめやすい性格として彼女の中にとどまります。

消え去った幻想

ジャンヌは22歳で、ミラノ出身のバロン・デイヴィッド・レオニノ(1867-1911)と婚約します。若い夫妻はパリの邸宅に住むようになりますが、不幸にも結婚生活は長く持ちません。バロン・レオニノはすぐに彼の不貞と金づかいの荒さを露呈し、1900年ジャンヌは別居を始め、1911年に他界するまで彼女は二度と前の夫と会うことはありませんでした。別居と同じ年、ジャンヌは彼女の母親が住むフォンテーヌの程近くに、 シャトー・ド・モンヴィラルジェンヌの建設を始めます。彼女は結婚後の姓に敬意を払い、建物の正面にレオニノ家の二つの紋章をはめこみました。ひとつは男爵夫人の王冠の下に葉飾りに囲まれたLの文字、もうひとつは象徴的なライオンの紋章です。

ジャンヌのシャトー

このモンヴィラルジェンヌの建設に選ばれたのは、建築家のシャトネイ(1865-1947)です。シャトネイは、建築学校でシャンティイ城の建築家であるオノレ・ドウメから指導を受けていました。使用された石は、クレイユにほど近い街にあるグスタヴ・デュ・ロスチャイルドの採石場を含む、この地域から採掘されたものです。建設は2年に及びました。古典主義の芸術作品であり、アマチュア心をくすぐるこのシャトー・ド・モンヴィラルジェンヌは、優雅さと安らかさをたたえています。

大階段

時間は、もちろんこのような場所を変化させます。しかし昔の庭の名残は、ヴァチカンのベルベデレをモチーフにした二つの半円状のベンチとなり、大階段のモニュメントとしていまだに庭園内にその面影を残しています。その大階段は、建物の外にある大きな二段テラスに続いており、グーヴューの街とオワーズ渓谷、そしてプレシー崖を一望できる絶好の展望ポイントとなっています。

生涯

ジャンヌは、しばしばこのモンヴィラルジェンヌを訪れます。春の美しい時期に滞在を始め、秋にパリに戻っていきます。若くして未亡人となった彼女の母のように、社会事業をすることでジャンヌはすぐに夫と離婚をした寂しさと傷心からの逃げ場を探しました。1929年に55歳で他界。彼女の兄ヘンリはもはやフランスで生きることを選びませんでした。ロスチャイルド家の歴史の幕は変わり、ジャンヌのシャトーの扉は閉ざされます。そしてモンヴィラルジェンヌはしばし眠りにつくのです...

叫びとささやき

モンヴィラルジェンヌの目覚めは残酷なものでした。10年間の荒廃の後、1941年7月、シャトーは500人のドイツ軍の本拠地として占領されることとなります。近くに重要なコミュニケーション施設が建てられたため、モンヴィラルジェンヌが位置する丘は何度か連合国側によって激しい空爆を受けます。1944年、シャトーの西側ウィング部分が激しく損傷を受けました。片側の壁が大きく崩れ去り、損傷は大規模で回復不可能なものとなりました。1944年秋、ドイツ軍の占領軍にかわってアメリカ軍が到着します。平和はそんなに遠くはありませんでした。しかし、風にさらされ、ウィング部分が粉々に破壊されてしまったシャトーをいったい誰が欲しいと言うのでしょうか?

1945年、サクレクールの3人の修道女がこのモンヴィラルジェンヌを最初に見つけます。熟慮の末シスターたちは決意し、1945年7月購入契約が交わされます。間もなく、シャトーに向かって右側に新しい建物が建てられました。そこには、チャペルと修練者のための部屋が設けられ、シャトー自身は若い女性のための寄宿学校となりました。しかし、1968年若い女性たちへの宗教学などの教育経営は続かなくなり、1969年モンヴィラルジェンヌは再びその門を閉ざすこととなるのです。

創造 ー 探求 ー 表現

1970年代の始め、この地域のための国立職業訓練会館を含む、ノジョン・シュル・マリンの芸術文化センターとしてモンヴィラルジェンヌは買い取られ、住居が建設されます。そしてLe CREARという個性的な愛好家センターがここに誕生するのです。初期のセンターは、職業訓練・芸術表現・コミュニケーション分野の40の研究会が属する、フランス国内唯一のものでした。独創性は、この場所の自然環境から生まれます。こうしてジャンヌのシャトーは、シスターたちによって増築され、また建築家のデスボードによって優雅に造園され、いまや6ヘクタールもの広大な森に囲まれています。

シャトー・ド・モンヴィラルジェンヌ

1985年、シャトー・ド・モンヴィラルジェンヌは魅力的なホテルとフランスの伝統料理のレストランとして生まれ変わります。かつての大統領、文化的・芸術的な著名人など数多くのかたがこのシャトーでの滞在を楽しまれました。このシャトーは、バロン=ジャンヌ・デュ・ロスチャイルドを思い起こさせ、そして彼女の思い出を永遠に秘め続けることでしょう。

スケジュール

1日目 CDGロワシー空港到着
シャトーのリムジンまたはタクシーにてシャトーホテルへ。チェックイン
2日目 朝食
終日フリー。自分スタイルで過ごしてみては・・・
お昼は各自にて。
午後は「お料理研修」とテーブルセッティングレッスン。その後、作って頂いたお料理の試食。シャトーホテルにて夕食。
3日目 朝食
チェックアウト。
リムジン又は提携タクシーにてシャトー最寄の列車ターミナル又は空港へ送迎。

ホテル内には3つのレストランがあります。
パリのシャトーで優雅な滞在

おすすめプラン!(別途料金)

シャンティイ城:お城の中がコンデ美術館になっています。個人の絵画コレクションでは、パリのルーヴル美術館に次ぐ規模とされており、ラファエロの絵画も3点ございます。また、一角には有名な「宮廷料理人ヴァルテール」の厨房が今も残されており、その場所は現在「ラ・キャピテヌリー」というレストランとなっています。こちらのデザートの「クリームシャンティイ」は有名です。

馬の博物館:世界でたった一つの生きた馬の博物館です。馬がお辞儀をしたり芸をしたりするデモンストレーションを見学する事ができます。(ショータイムあり)シャンティイ城と馬の博物館はすぐ近くで、シャンティイ市内にあります。所要時間はホテルから車で10分以内です。
 
サンリス:シャンティイの隣町で中世の面影を残す石畳の通りが多いかわいらしい町です。12世紀に造られたノートルダム大聖堂があります。ホテルから車で20分、シャンティイ市内から10分で行く事が可能です。 

午前中で上記の1〜2箇所を回る事ができます。

2泊3日プランに含まれるもの

1.滞在費:2泊、エグゼクティブジュニアルーム
2.食事:朝2回、昼0回、夜1回(料理レッスン1回)
3.緊急時対応

料金 2泊3日/2008年4月1日〜2008年9月30日まで

お問い合わせください。>>>

ご注意

※上記はサンプルの日程表です。
※2、3日目に日本語アシストを追加される場合は、5時間180ユーロになります。(ランチ代別途)
※ご滞在中のご希望がございましたら(1泊追加等)お問い合わせ下さい。

お問合せ・仮予約
フレアインターナショナル
〒810-0022
福岡市中央区薬院4-1-27
薬院大通りセンタービル3
TEL. 092-533-8320
FAX. 092-533-8325
ソフトバンク携帯の場合
080−3946−2381
予約規定は
会社概要をご覧下さい
メールマガジンの登録と解除
メールマガジンの登録と解除は、下記のフォームにメールアドレスを入力してください。
フレアのメルマガでお得な旅情報や海外の流行のお店など・・・お届けいたしますよ!
このページの先頭へ
RSS 1.0│© 2006 copyright freya international INC. allright reserved.